7月5日(土曜日)パオからオロロンへ33km
朝8:00 窓からにぎやかな声が聞こえてくる。前の広場で朝市が始まっている。
昨日は気が付かなかったが隣の建物は市場であった。色々な店が有り、見ているだけでも楽しい、パンを2個買う。パンはリュックに2個あればそれで安心である。
ルルドよりAM9:15イルン行に乗りパオまで35F、約40分乗ることになる。PAU駅にて近郊地図を買う。(12フラン)
ルルドからポーそしてオロロン・サントマリーそしてサン・ジャン・ピートボールへ
雨が降っているので駅ベンチで休憩。さあ進もう!
地元の女の子に聞いてみることにする「あの道をまっすぐ」、 別れ際に"Good luck!”と言われた。この雨の中進まなければならない。
再び犬をつれた老人に再確認すると”まっすぐ・・・ ”道路標識にオロロンまで33km・・遠い・・でも歩かなければ・・・
まず5kmまでは順調それからは荷物が肩にくい込む。 33km・・・考えれば長すぎる。 まず5kmこれだけを考え、それを6回考える事にしよう。
町の入り口にパン屋があり、そこでパン2個、そしてコーラ16F買う
少し歩くとパトカーが車の整理をしている。
小さな公園で先ほどのパンを食べていると 数十台のサイクリングがスピードを上げてやってくる。ツーリング大会のようだ。
コーラを飲みながら、気分的にはここまでは順調だった
10km過ぎ それからは長い坂道ずーと先まで上り道が見える。
嫌な天気だ。ドレミの歌、からたち日記、好きな歌を口ずさむ。
登り道はリュックが後ろに掛かり、肩にくい込む。
苦しい、痛い、だがこんな事は最初から分かっていることだ。
これを味わいに来たのではないか、楽しみに来たのではないはずだ。
pm3:30パオから19kmオロロンまで13kmの道路標識があった。
嬉しい・・・この一言以外何もない。
19kmも歩いた、日本では毎日ほとんど車、歩くことがほとんど無いし、
900kmを歩こうとしている私が 僅か19km歩いただけで感激してはいられないのだが・・・・
だがここから地獄、全く歩道がない。車道ぎりぎりの道ばたは深い草むら、 その道を車が100km以上のスピードでどんどん通り過ぎる。
恐ろしい、それこそ命がけである。
靴、足下がびしょぬれになる。
車は私が危ないのかヘッドランプは点滅させるし、フォーンを大きく鳴らす。
これが結局10kmも続いてしまったのだ。
雨が降る、車が怖い、歩道が欲しい。自分のペースで全く歩くことが出来ない。
遅々として進むことが出来ず時間だけが過ぎる。
休む回数が増える。休む度に荷物を再度担ぐとき、肩、足、腰が痛む。
後ろで車のフォーン、何か言っている”オロロンまで行くから車に乗れ”と言っているのだ。あと4kmは有ると言っている。だが丁寧に断って、また歩く。 雨がまだ降っている、良かった!助かった! pm7:00なんと長時間歩いた事だろう。
だけどこれからホテル探し、もうフラフラどこでも良い、 泊まれれば・・・インフォメーションが有り、そこでなんとか頼む。
駅前のホテル(DELAPAIX)150F を紹介してもらった。
そこまで歩くのが苦痛だったが、優しそうなホテルのマダムであった。 マダムは英語はだめ、だけどスペイン語が話せるので片言の話をし、 部屋22号室キーを渡してもらい部屋に入る。
赤色のベッドカバーが目に入り心からホッとする。
もう足を一歩も動かすことが出来ない。
ベッドの中に入る、暖かい、嬉しい、幸せだ。 僅かの食べ物と一夜のベッドが有ればそれだけで良い。 pm8:00何か食べ物をと動かぬ足を引きずりホテルを出る。
町中まで行くが土曜日の夜、全ての店が閉まっている。人通りもない、また駅前へ戻り通り角のカフェテリアに入りコーヒ(5F)を飲む。
ここのマダムもスペイン語が話せる。 やはりスペイン国境に近い町だからなのだろうか。
ハム、チーズ入りサンドウィチとペプシー大瓶(33F)を頼みホテルへ
持ち帰るが結局食べることもなく眠ってしまった。
本日の歩いた距離は47693歩(33・4km) |
7月6日(日曜日) オロロン
朝am8:00目覚ましベルが鳴る、窓から見える空は青空。 昨日はスペイン巡礼を始める前に試しに歩いてみようと思い、歩いてみたのだが、
やはりスペイン巡礼の道までは無理をしないでおこう。
巡礼のスタートはピレネー山脈フランス領ST・jean・pied・de・portからになる。 このホテルは落ち着く、町は静かだし、緑が多い。
am10:00教会のスタンプを貰いに出かける。これも大きな問題が有る。
昨日も途中の町GANの教会には誰もいなかった。 神父は別の家に居住しているのだろう。
巡礼の道すがら教会のスタンプを集めるのも一つの目的だったので、
これに多くの時間を必要とする可能性も出てきた。
この日も町の中心に有るノートルダム教会へ行くが、誰もいない。
教会の清掃をしている男性に聞くと、あの丘の教会に神父が住んでいると指さす。
教会は丘の上にあり、坂道がこたえる。 Am11:00にミサが有ると聞き30分ほど待ち、 今後の旅の無事も願ってミサにあずかる。
その後、神父にスタンプを頼み、サインと少しの言葉も書いて貰う。
その後両替にと町中に出るがうっかり忘れていた、 今日は日曜日銀行、店は全て閉まっている。
両替が出来ない。現在、持ち金400Fホテルに300F払わなければならない。
残100F明日の早朝、列車でパオ駅まで35F、今晩もパンになりそうだ。 明日、パオ駅で両替をしよう。
通り沿いのサンタ・マリア教会の中に
世界各地からの巡礼者のための巡礼世界地図が有った。
訪問者が地図上をピンで押して置くようになっている。
アジアではタイが一つ押して有っただけ、 日本のど真ん中KYOTOの上に赤いピンをさして置いた。
喉が痛い、咳がでる。風邪を引いたかも知れない、念のため風邪薬を飲んで置く。 今、自由に使える金は50F(1000円)両替出来なければ一文無しと一緒だ。 ストアーが全て閉まっている。 食事はいつも困る。 ホテル前駅構内の自動販売機で6Fのクッキーを買い、ホテルに戻る。
11977歩(8・4km)
7月7日(月曜日) オロロンからサン・ジーン・ピーデ・ポートへ
Am7:00起床。ホテルで朝食28F フランスパン、 カフェ・コン・レーチェフランスのコーヒーは濃い。
am8:23発パオ行きに乗るが、非常に嫌な複雑な気持ちになる。
一昨日あれだけ苦労して歩いてきた道を 列車で僅か50分でパオに戻らなければならない。 この町オロロンからST・jean・pied・de・portまでのルートが見つからないのだ。
嫌だが納得しよう。今、手持ち金20F(400円) 寂しいがパオの町で両替出来るだろう。
トーマスクックどおりならAM8:23オロロン発ーAM9:10PAU着、 乗り換えAM9:47PAU発ーAM10:56BAYONNE着、 AM11:19BAYONNE発ーAM12:20 st・jean・pied・de・port着の予定、
PAU駅で30分の待ち合わせ時間しかない。 両替出来なければ、それからの列車の切符を買う金が無い。
銀行が何処か分からず、駅前で聞く。 ”駅前のケーブルカーに乗り、上がって降り真っ直ぐ”と言うこと、 ケーブルカーが無料で助かる。 120ドル両替、急いで駅に戻り切符を買う。 BAYONNEまで80F。 BAYONNEからst・jean・de・pied・portまで35F。
この線は山沿いを走り、右窓側にはある程度の流れのある綺麗な川が見える。 数人の乗るゴムボートが何艘も流れを楽しんでいる。 約1時間位だったが景色は良かった。
st・jean・pied・port着、駅より街中まで歩いて10分。 地図を貰いにインホメーションへ行く、巡礼者ならこの場所に行けば安く泊まれると聞き、城壁の門をくぐり石畳の坂道を5分ほど歩く。 そこで60過ぎの男性から巡礼について聞かれ(話の内容は所々分かる程度)
私はここで泊まれるものと思って居たのに、 また7軒ほど離れた家に案内されてしまう。 こんどは老婦人が相手、40年ほどこの関係の仕事をしているらしい。
”日本人は20年ほど前に馬でDr今田が来た”と言う。ここでも泊まれず・・・ ”このペンシオンに行けば、安くなる”と地図上に記しをする。
紹介書を持って本通りの2つ星ホテル「ITZALPEA」階下レストランで その紹介書を見せても値段は壁に貼ってある値段表と変わらず200F。 そんな事なら他を探せば良かったのに・・・・まあいいさ。
ピレネー山麓の街サン・ジャン・ピエ・ド・ポールはピレネー山脈のイバニエタ峠を越える巡礼者 が峠越えを前に休息した街である。
街の中心を流れる川沿いに有るノートルダム聖堂等近くを散策する。
このノートルダム聖堂にも神父が居なかったので教会スタンプがだめだった。 小さな街だがバカンスのためか、昨日のオロロンと比べると観光客が多い。
今日は青空、初夏の日差しで目がまぶしい、汗ばんでくる。
ホテルに帰るが、食欲が無い、熱が有る、困った。 風邪薬を飲む、熱が下がってくれる事を願う。
今は誰も頼れない、頼りになるのは我が身だけ。
明日からは900KMの巡礼路の始まり、 ピレネー山脈を越えスペインに入らなければならない。 ホテル階下レストランでカフェ・コン・レチェ14F、何も食べたくない。
病気だけは心細い、心配だ。
PM8:00 持っている衣服を何枚も着、 布団を頭から被りサウナ状態にして汗をかく(これは時々、自宅でもする事だ。)
熱も少しは下がったような気がする。
この部屋は隣室の声も良く聞こえ、うるさい。窓も無く、入り口ドアが透明ガラス。 廊下から見えるのでカーテンで目隠しするような部屋だ。
200Fは高い。私は街を散策中にカメラを落としてしまい、レンズのふたが壊れてしまった。 ふたを閉められないとシャッタ止めが出来なくなる。 大事なものなのに、1週間でこれでは先が思いやられる。
明日はこの街から10kmでスペイン領になる。 妻に電話をかけ、フランスのTELカードを使ってしまおう。
くれぐれも体調だけには気をつけよう。誰も居ない、 我が身だけだから無理はしないでおこう。
絵はがき2枚5F、街の名入りの小さなベル15F、 パンプローナまでの近郊地図12F
9577歩(6、7km) 2/13ページ
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