8月12日(火曜日)アルスーアからアルカまで19km
朝7:50出発。
Arzuaの出口にAlbergueが有ったので出発してすぐ山道に入る。
日本の山道によく似ている。大木が茂る山道だ。今日も上り坂が多い。
10kmほど歩いた国道沿いSalcedaのBarでコーラ、パンを今食べている。225pts。3km歩いた国道沿いでまたもカフェ、ボカディジョを食べる。
食べたあと、外を出て国道を見てみると
自転車に乗った日本人らしい若者を見る。
「日本の方ですか?」と聞くと、実にそう。
巡礼道の終わりになって初めて日本人に会う。
実にパリ滞在時日本人の女性と日本語を話して以来、40日ぶりである
彼は自転車をパンプローナで買い(50000pts)
1週間でここに来たという。仕事(帰国後の年賀状で中学校教師と判った)の都合で多くの休暇が取れないらしい。
韓国のカトリック友人に是非巡礼道を行けと勧められたとの事である。1日100km以上は走っているはず。
道ばたで10分ほど話した後にサンティアゴへ向かった。
サンティアゴまであと20kmの坂を下るだけだから
2時間くらいで行くのであろう。
また日本に帰ったら巡礼の話をしようと言って別れた。
私も歩き出す意外と早くArcaのAlbergueに着く。
PM1:30国道沿いに有り、まだ20人ほど、大丈夫、泊まれるだろう。
60人以上は泊まれる。1室2段ベッド4。
このAlbergueの隣がスーパー(牛乳、菓子パン12個入り、桃2個、コーラ、380pts)で便利である。
以前から気がついていたがブルゴス地方に入ってから
Albergueに台所があっても小さいし無いところもある。
そしてPM4:00までは閉まっている。
しかしここの台所、居間は立派である。
サンティアゴまで20kmほどの距離、
1日で歩けるが手前5kmのモンテ・デル・ゴソで泊まり、
ゆっくりと最終地サンティアゴへの道を感じよう。
26200歩(18.9km)
歩き出して 計1216550歩(876km)
8月13日(水曜日)アルカからモンテ・ド・ゴソまで18km
朝、居間で昨日スーパーで買った牛乳、パンを食べAM7:50出発。
昨夜はAlbergueの居間で5人ほどの若者巡礼者が
ギターにハーモニーの揃った合唱でPM9:00~12:00近くまで
歌ってくれる。 数10人が聞いていて楽しい時間であった。
Lavacollaまでの10km近くは天気も良く、気持ちよく歩く。
Lavacolla教会階段下Barでカフェ、パン。
丘頂上近くでTVE(スペインテレビ)中継パラボラアンテナを
右に見ながら歩くと、歓びの丘(モンテ・ド・ゴソ)が見えてくる。
この丘から4km先のサンティアゴが見えるのだ。
歓びの丘は草原の丘であった、
40日前のピレネー・イバニタ峠の様に・・・・
中世の巡礼者達は、
この丘が見えて来ると競って駆け登りサンティアゴ大聖堂を見たのである。
ピレネーからでも800km、聖都サンティアゴを初めて見られた歓びから、
この丘を「歓びの丘」と呼ばれていた。
声をかけられる、これは貴方のでは?と磁石、距離計を渡される。
どこで落としたのだろうか。どうして私のだと・・・
あまり使う事は無かったが有り難い。
AM11:30着。
このモンテ・ド・ゴソを300m下った左側にAlbergueが有った。
ここは大きい、800名収容と書いてあるだけはある。
広い芝生に中にいくつもの建物が有る。ここも4:30開き。
とりあえず昼食をと広大な敷地の中のレストラン
(これも大きい、久しぶりのバイキング、好きなものをとって1200pts)で食事。バイキングなら夕食も食べやすい。
芝生で横になる。木陰の風が何とも気持ち良い。
2
時間以上寝ころんでいた。PM4:30部屋へ。1室2段ベッド4,8人部屋だがこじんまりしたきれいな部屋である。
部屋は鍵付き(Albergueでは初めて)鍵2個だけのためドアの開閉が不便である
明日はサンティアゴ。
だけど最終目標はポルトガルのファティマと決めていた。
ここまで来たのだから最後まで頑張らなければ。
だけどよくここまで来れたと思う。
120万歩以上約900kmをこの自分の足だけで歩いてきたのだ。
スペインの中で言葉が通じない。
途中でやめたいとも思ったし、体の不調もあった。
何のために歩いたのか今もはっきりとしたことは言えない。
周りの全てから離れて自分自身を見つめ直してみたい・・・・
母の病の回復願い ・・・・・・ 歩き続けてこんな事も考えた。
この先、すぐに娘達が結婚し、私にも孫が出来るのであろう。
その子供が大きくなって娘達が”貴方のおじいさんはこんな事をしたのですヨ”と言ったとき、
その子供に何らかの印象を与えられるだけでも・・・・とか。
だが・・・歩きはじめてなによりも感じたことは・・・・・
道ばたの小さな野の花が何と可愛いことか・・・、
1日が無事に過ごせた事、
そして雨露がしのげるalbergue(巡礼宿)で休める事、
そして何らかを食せた事がなんと素晴らしい事なのかと
感じずにはおられませんでした。
感謝、感謝の毎日だった事です。
この旅が私に何の影響を今後与えるかも今はまだ判らない。
今9:00例のバイキングレストランで食事した後、これを書いている。
何か周囲のスペイン語が日本語の様に聞こえる。
1ヶ月以上耳にするのがスペイン語ばかりだから。
24500歩(17.6km)
歩き出して 計1241050歩(894km)
8月14日(木曜日) ゴソがらサンティアゴ・コンポステーラまで5km
AM8:30目覚める。ここはAM10:00までOKと聞いていたので、
ゆっくりとしていた。AM9:00出発。
モンテ・ド・ゴソAlbergueを出発して坂を下るとすぐに市街地、途中Barでカフェ、パンを食べる。
AM10:00カテドラル到着。
遂に着いた!!
この感動は言葉では表し難い、じっくりと自分自身の中で噛みしめよう。
900km近い道は私には長く思えたし、また短くも有ったかも知れない。
7/4日ルルドから8/14日サンティアゴまで43日間。
この間の我が身だけという辛さ、苦しさ、悲しさ、・・・・等
つくづく感じたつもりだ。 しかしよく歩けた。
こんな経験はこれからもないだろうが、
この1/5,1/6なら再び歩いてみたいと思う。
(1年を過ぎた現在の心境は全行程を再び歩きたい思いになっている)
60歳、70歳という夫婦が歩いていた。
ひょっとして、娘達の子供と一緒に歩けたら・・・
足のまめはあちこちつぶれ、固まってしまったが大きな問題にはならなかった
一番は精神・・これはこたえる。
一日歩くので体が夜中中、特に足の裏、手のひらが熱く寝にくい。
一日平均25km6時間~8時間は歩いていた。
峠にかかると1時間2km位(休んでしまう)になる。
もう明日からはこんなに歩くことは無いがポルトガルへの列車の乗り方、
ホスタルの探し、これに苦労しなければならなくなった。
カテドラルに着いて、前の広場でタバコを噴かしゆっくりする。
そして歩いて2分位の所にカテドラル・デ・サンティアゴへ。
ここは巡礼者の最終地、最後のスタンプ、そ
れと巡礼者の証明書(コンポステラ)を発行して貰う。
この証明書とスタンプは私の一生の大事なものとなってしまった。
無事に日本までもって帰ることを願う(フィルムも)
Albergueはここから15分位の所。坂の下り、上りが少しきついが、大きな修道院のような所。大広間にベッドが何十とある。その内のシングルベッド、隣とは2m近く離れている。気分的には助かる。ここで2泊するつもり。
明日は8/15聖母被昇天祭で祭日、そして土曜、日曜となる。このスペインを離れてポルトガルへは両替の都合行きにくい。どうしよう・・・
このAlbergueへ来る前に、カテドラル広場で2日前別れたマルタに会った。今日AM12:00からこのカテドラルで巡礼者のためのミサが有り、その後PM1:00から仲間と食事するという。
AM12:00からのミサは良かった。良くビデオ、写真で見た天井からつり下げた大きな香を大人8人ほどで左右に振るのである。このミサが巡礼者のため(私のため)のミサというのが有り難かった。ビデオが写せないのが残念。
その後PM1:10マルタ、テレサ、ベルギー夫婦、8/7TrieCastellで名前だけ書いてくれたロペス夫婦60歳と一緒に食事1600pts、記念写真、彼等はその後はそれぞれ家に帰ったり、他へ行くようだ。本当に最後の別れ(外国式)をしてくれ、涙とともに別れた。
いつか奥さんと一緒に会いにこいともいってくれた。
PM8:30一人食事に行く。1350pts。このAlbergueからカテドラルまでだいぶ距離がある。PM10:00ベッドに入るが薬を飲まないと眠れぬ。AM2:00まだ眠くない。それからは時々目が覚める。不眠症になっているのか?
22650歩(16.3km)
モンテ・デ・ゴソからサンティアゴまで5km弱だが、それより後Albergueからカテドラル(1km位)3回往復等、市内を歩くだけで10kmを歩いている。
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歩き出して 計1,263,700歩(910km)