8月6日(水曜日)       ベラ・デ・バルカルスからセブレイロまで19km

 

 

朝7:00Vega・de・Valcarceを出発。

 

2kmほど歩いたRuitelan村のBarで朝食コーヒー、パン。

 

少し歩くと左側に入る巡礼道がある。

 

鍛冶屋という意味のHerrerias村を抜けると急にCebreiro峠への上り坂、やはり厳しい。

 

幅1m弱の山道は大きな岩盤の坂になり、

その上を滑らないように気をつけて歩かなければならない。

 

3kmそこそこでLa・Faba村、坂道はこたえるがだんだん景色は良くなってくる。

 

 

 

Lagunaまでの2kmもきついがピレネーに比べると楽なような感じは有った。

 

それからO・Cebreiroまでの間にレオン地方からルゴ地方に入る。(上記地図参照)

 

山の頂に近いせいか、雲がかかり雨が降る。風もきつい。

 

セブレイヤの峠に到着した。

 

ガリシア地方の入り口で標高1300mにあるセブレイロは1年のほとんど

風雨と吹雪にみまわれ、巡礼者を苦しめたということを実感する。

 

ここのAlbergueは綺麗な建物だがPM4:00まで開かない。まだAM12:00。

 

4時間待たなければ・・・前日の馬での巡礼者もやってくる、この峠を通ってきたのだ。

 

雨が相変わらず降って肌寒いのでBarでカフェを飲み1時間ほど休憩する。

 

 

 

セブレイロのサンタ・マリア・ラ・レアル教会

紀元前から住んでいたケルト人住居(丸く積み上げた石壁の茅葺き屋根)

の名残りを見て再び歩き出すことにする。

 

雨、風が強くなってくる。セブレイロ峠は私には良い印象を与えてはくれなかった。

 

 

 

 

風雨が強くなるポンチョが破れんばかりに吹き付ける。

巡礼姿の聖ヤコブ像の前で雨中写真.  Hospital村の小さなAlbergueに着く。

ここで泊まろうと入ると、子供を含め10人ほどすでにいる。

 

だが受付はPM4:00からなので、ただ待つのみである。

居間はスペイン語だらけ、外は雨、出られない。

ここは食事するところはBarすらない。

 

あと16km歩いてTriacastelaまで行けば良かった。

ここ2、3日気分が重い。この旅も疲れた。

 

妻へTEL、私は元気そうに思えるらしい。今日はコーヒーぐらいで何も食べていない。

 

外食は出来ず、下では家族連れの人達がが台所で食事を作り食べている。

にぎやかに。

 

まだ今は6:30雨が止むことなく降り続けている。

                

 

27000歩(19km)

 

 

 

 

8月7日(木曜日)    セブレイロからトリアカステージャまで16km

 

 

昨日はほとんど何も食べず、薬2錠でPM7:00には寝られた。

あまり良い日ではなかった。    この頃よくそれを感じる。

 

日本を出て1ヶ月を過ぎる歩いての一人の旅はこれが限界なのだろうか。

せめて2人なら・・・

 

 

まだ20日以上ある。ポルトガルに行くのがイヤになる。

ポルトガルの会話集も忘れている。   何も話せない。

睡眠薬がもう無い。困った眠れない、これがないと・・・

 

朝7:00前,Hospitalを出る。朝から雨。雨でも歩いている方が最近は良い。

歩くのはもう慣れた。20,30kmなら。だけど会話が疲れる。

 

一緒に歩くハビエル、イニーゴやアントニオ等がいればまだ良いが、

スペイン語を話さない東洋人は(この1ヶ月東洋人は見ず)

 

他の者から不思議な目で見られているような気が最近はする。

疲れる、気持ちの方が・・・

 

 

Alto・do・Poio標高1337mここが1番高いようだ。AM8:30雨が強い。

ここにBarが有り、カフェ、パン、外はまだ雨。

 

今日は雨なのでできるだけ国道を・・・と思ったが、

このAltoを通り過ぎて左側巡礼道に入る。

 

BiduedoからTriacastelaまでの山道は途中から晴れて景色は良かった。

フィルムが足りない。今はないし、少し残し、明日SARRIAで買わなければ・・・

 

Triacastelaに着いたのが昼前。ここもPM4:00にしか開かない。

4時間もある。歩けないことはないが、

 

このAlbergue前庭の芝生が広く落ち着きそうな気がするので、ここに泊まろう。

 

 

この時、前夜宿泊した家族連れのジャントーマスが話しかけてくる。

 

マドリッドでコンピュータ関係の仕事をしており、子供たちが日本語に興味が有り、

いろいろこれは日本語で何?と聞いてくる。ひとときの気持ちの安らぎを感じる.

Albergueはpm2時、3時とだんだん人が増えてくる。

 

PM4:00に開きベッドへ(1室に2段ベッド2つ)。

ここは大きく80人位泊まれる。

 

今PM7:50この村のBarで(カフェ、サラダ、ボカディショ、トルラィジャ、

ヤルベサコン、レモン、1000pts)食事。食事を何とか済ませるとホッとする。

 

ここでやっと義弟への葉書をポストに・・・

これが彼に届いた頃にはすでに私はサンティアゴに着いているかも知れない。

 

 

それにしてもガリシア地方に入ってからAlbergueがほとんどPM4:00にしか開かない。

 

どうしてなのだろうか?今まではそんなことはなかったような気がする。

それなりの理由が有るのだろうが・・・最近タバコをよく噴かすようになった。

 

スペインに入り歩き出して1ケ月になる両替88000pts

     

 使用73000pts       残高15000pts

                        

  1ヶ月平均1日2400pts(¥2000)

     

このなかには高額のカメラ、TELカード、フィルム代が含まれている。   

 

上記を除けば1日平均¥1,500以内しか使っていないだろう。

 

 

 

食事の後、Albergueへ戻ると前の芝生で若者8人ほどがギターで歌を歌っている。

今PM9:00芝生にはあちこちに座って話をしている。

もうすでに陽が山に沈みかけている。

 

 

レオン・ブルゴスではPM10:30頃だったのに、やはり山奥なのだろう。

今は自分に自信が持てない・・・

 

特に今はこんな環境に居るせいか、余計に自信が持てない。

いつも一人(これは会話のせい!)仕方がないか。今のこの状態では・・・・

 

 

 

最近はいつも一人でサンディアゴへの地図をぼんやりと見ている。

後何日とか、何kmとか、意味もなく。

 

帰った後、すべてに良い日であった様に思え、

これが完遂出来たことがこれからの自分の自信となってくれれば良いのだが・・・・。

 

 

つくづく思うが、スペイン語よりもやはり英語、ほとんどの人が英語も話す。

特にこの道はヨーロッパの若者やインテリが多いのだろうか。

 

スペイン語、英語、ポキートと言ったらペラペラとくる。私はノーアブロで有る。

 

                                          

22000歩(15.8km)

 

 

 

 

 

 

 

8月8日(金曜日)    トリアカステージャからサリアまで27km

 

 

 

昨夜はPM12:00頃に眠れただろうか。朝7:50出かける。一部屋2ベッド4人部屋で部屋はきれいであった。贅沢は言えない。この日も何ペセタもBOXに入れなかったから。

 

今日は地図を見て、2通りの道の1つSAMOS側に行く事に決めた。Triacastelの町の出口がT字路、右に行けばMontan経由、左側がSamos経由だ。Samosがきれいだと聞いていた。

最初は国道、途中から巡礼道に入る。静かな道だが、牛の通り道。牛のフンがほとんどで地面が見えないほどである。少し休んでいると地元の人が”オラ!”と声をかけてくれる(写真を撮る犬2匹ずれ)それからのSamosまでの道は気持ちの良い歩きであった。

Samosの村が見えた。村全体が写真の枠に入るほどの小ささだが修道院が大きい。村の半分ほどを占めているかの様に思えるくらいに。

この修道院がAlbergue。いつものように閉まっているPM4:00に開くと書いてある。この修道院の横が開いており、そこで巡礼スタンプを押してもらう。

その時修道士が2人。1人が池田を知っているかと・・・。どこかで聞いた声、顔・・・とふと思ったがNo・seで絶ってしまった。その後もう1人の修道士がすでに待っていた5人と一緒に中を案内(200pts)この修道院の中も立派な建物であった。

その間その間にあの声が気になった。そうだ、ひょっとしたら12chTVスペイン語会話に出演していたホアン?ではないかと。そんな事があるはずはない。でもあの声は・・・後でもう一度会えたら聞いてみようと・・・だがすでにその人は居なかった。今でもそうかも知れないと思っている。池田・・・帰ったらTVbookを見てみよう。スペイン語がわかったらその時に・・・残念確認できず。

Samosを12時頃出かける。それからの12km余りは長く感じた。ほとんど山道上り、下り。こちらの道を通る巡礼者は少ない。距離が長いからだと思う。この間小さな村はあったが、ほとんど巡礼道だけ。

 

 

Sarriaに着いたのがPM3:30。多くの巡礼者が並んでいるAlbergueは4時に開く。40人以上待っている気がする。ここは定員40人・・・ひょっとしたら・・やはりダメ。ベッドは満員人通りが多い床でと言うが私はマットは持っていないし床でも寝られるスペースは無い。とりあえず中に入ったが困った。

これはどこかHOSTALでもと思って外へ出ると、マルタと2,3日前から挨拶をしていたベルギー婦人に会う。

 

Albergue近くにBarが有り、そこが1000ptsで泊まれるようだと彼女がそこまで連れていって交渉してくれる。OK、有り難い。部屋は4畳くらいだがベッドが有り、窓、テラスも道路に面し明るい。それに部屋を出ると横にトイレ、バスまで有る。

これを使えと主人が湯沸かしに火をつけてくれる。1ヶ月ぶりの風呂、アカが出るは出るは・・・リラックス、この空間が自分のもの・・・これほど有り難い事はない。この1ヶ月すべて何10人という人達と寝たせいか。この空間は何とも言えずリラックスする。

 

私はAlbergueに泊まり通しだったからこの感覚を忘れていた。最近2,3日憂鬱だった気分が一気に晴れた様な気がする。

PM7:00頃外に出て、フィルム6本2200pts、TELカード2000pts、タバコ300pts買う。これが1番金を使う。

PM8:30この部屋の下Barで食事。宿の主人はスペイン語がわからないと知っているのでこれも楽。ボトルワインそして大きな椀にワカメ、ジャガイモ、豆のスープこれはうまい(お皿3杯も飲む)。それにワイン、パン、それから肉のミンチ、フライ、豆、ニンジン料理、それに野菜サラダ。

 

 

 

 

それからカフェ・コン・レチェ、そしてこれを食べろと桃、ミカン、これだけの食事で750pts(¥600)信じられない!”おいしい、おいしい”と言って食べていたから安くしてくれたのかも知れない。それに泊まり費1000pts、計1750pts。日本にわずか5分位の電話代よりも安いのだ。

時々会っていた夫婦二人ずれ(ロペス バルセロナ)とサンタマリア教会横の公園で30分ほど雑談(これもリラックスのおかげ)。

今日はAlbergueが満員で良かったとつくづく感じる。今PM10:30。明日はAM8:00デサジュノーと主人が言っていた。向かいのパナデリアでコーラ60pts、牛乳1㍑120pts。           

 

            37300歩(26.9km)

今までは早く寝ようとしか考えなかったのに今はもう少し起きていようと思う。便も有った。おかしなものだ。今日、巡礼道の途中山中で後頭部をハチに刺される。ブーンときて痛いと思ったが、今もまだ痛い。2カ所腫れている。

ログローニョで買ったむぎわら帽子がもうダメになったので途中で捨てる。もって帰るつもりだったが残念・・・・・・・

 

 

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