7月11日(金曜日)パンプローナ牛追い祭そしてプエンタレイナへ24km

 

朝6:30起床。多くの人がこの時間に起きようとしている。

パンプローナまで4km、歩くと1時間近くはかかるだろう。

 

朝8:00には街の中の通りで牛追いが始まってしまう。

 

巡礼の人々の中にはバスで行く人も有るが私は歩く事にこだわる。

 

早朝からの丘の上の街パンプローナへの坂道はこたえる。

AM7:50、ギリギリの時間に到着する。

 

通りには人があふれ(前日から夜通しの酒気を漂わせた人々、

公園で寝ている人々・・・このエネルギーはどこから、

しかも1週間も、ただ驚くのみである。)、覗くことすら出来ない。

 

折角来ているのに、何とかしてと思うが人が多すぎる。

8:00丁度、通りに面した各階の窓からの歓声と共に若者が通りを走りすぎる。

 

 

その後、すぐ牛が来る、ダァーダァーダァー、数十秒、数秒かも知れない。

あっという間に通り過ぎていった。      少しは牛の影が見られたのが幸いである。

 

 

 

少しの祭の気分を味わうために、

赤のネッカチーフを買い(1000pts)首に巻いてみるが多分似合っていないと思う

 

 

 

カテドラル・闘牛場を見、早くパンプローナを出よう。

街中でパンプローナより先の地図が欲しくて店にあたるが無い。

仕方がない、どうにかなるさ。

 

 

ここは大きな街なのでプエンタレイナへ行く道も探さねばならない。

大きな祭りの人形たちが町を練り歩いている。

パンプローナを出ると、小高い丘がいくつも続く直線の道である。

 

ガソリンスタンドで水70pts、チョコレート100pts、

3kmほど上り、そして下り、また上る。道が直線だけに先が見え、辛い道である。

巡礼道の標識が見つからないので、仕方なく国道N111を歩く。

(後日、買った巡礼ガイドブックを見ると

パンプローナの出口前から左に巡礼道に入らなければならなかった。)

 

 

前方に大きな電力風車が何10基と山の頂上で回っている。

この山を越し、ただ歩くのみ、ブーンブーンと風を切る力強い音。

 

後ろを振り返ると、遥か後方に風車が見える。あんなに歩いたのかと驚くばかりである。

後5km、やっとたどり着いた。

 

 

この街プエンタ・レイナの入り口にCrucifijo教会があり、その教会の噴水前で拍手の音がする。

何かと思えば昨日のパンプローナで会ったスエーデンのロー親子ずれが、

よくたどり着いたと拍手をしてくれているのだ。

 

彼らはパンプローナからバスで3:00頃着いたとのことである。

この教会の広場にある水道の蛇口から飲んだ水の旨さは今も忘れることが出来ない。

 

 

Crucifijo教会に隣接した建物がAlbergue(巡礼宿)、スタンプをもらい、

とりあえずベッドへ。30ほどのベッドが有る。

夕方、先ほどのロー親子と他の巡礼者と散歩し食事をとる。

言葉がほとんど通じないが、私がダメなのを知っているから気が楽である。

 

今、彼らは食事中だが私はこの日誌を書いている。

 

スペイン語の勉強もこの旅でと思うが、この疲れでは思うようにならない。

 

この街プエンタレイナはフランスからの4つの巡礼道がここで1つの道になり、

サンチアゴ・デ・コンポステーラへ行く重要な街となっている。

 

カフェはおごってくれた。

サンドウィッチ395pts、パン、クッキー、ヨーグルトを買う300pts。

                      

34600歩(24.2km)

 

 

 

 

 

7月12日(土曜日) プエンタレイナからエステージャへ 18km

 

 

AM8:30プエンタレイナを出る。

プエンタレイナ「王妃の橋」という美しい名を持つこの街には、

その由来となった中世の橋がArga川にかかっている。

 

1000年近く前に、

この橋を渡って歩いた昔の巡礼者を想いゆっくりとすりへった石の上を歩いて渡った。

王妃の橋を渡り、左に曲がり、最初から巡礼の道に入る。

 

ポー親子や他の数人の巡礼者は昨夜の雨で道が多分悪いからと国道を歩き出したが、

私は昨日は巡礼道の入り口を見落とし、国道のみ20kmを歩いたせいか、

 

車のない道を歩きたかったので、巡礼道を歩きだした。

最初は数m巾あったが、次第に50cm巾位の道になっていく。

 

思ったより道は悪くなっていなかったが道は細く険しくなってくる。

国道が見える距離に有るが、やはりこの道の方がアスファルトの国道より、

時間が掛かりそうだ。    最初国道を歩き出した連中が見えなくなっている。

 

1人巡礼道を歩いている人に出会った、

少し小太りのスペイン人で黙々と杖を付いて歩いている。

 

 

巡礼道には大きな石、樹木の幹、家屋の塀、電柱等あらゆる所に

黄色の大きな矢印のペイント)が書いて有る。

これさえ見落とさなければ大丈夫、どんな細い道でも分かれ道には必ず書いて有る。

 

900kmの巡礼道全てに(黄色の矢印のペイント)を見ていれば地図は無しで良い。

200mほど歩いて、分かれ道に(黄色の矢印のペイント)がなければ

少し戻ることを勧める。

 

 時々巡礼道にゲートが有り、通れない様になっていても大丈夫            

そのゲートを開けて進めばよい。巡礼者は全て通行はOK!なのだ。

実は私は最初このゲートに遭遇し、引き返してしまった。

 

 

   

   

今までの歩きで1時間に4km歩ければ良いペース、

坂道や休憩などすると1時間3km位のペースになってしまう。

 

25km歩くのに約8時間はかかってしまう事になる。

これが夏の炎天下で10kg近いリュックを背負って 歩くのだから大変である。

 

 

一面小麦畑の前方に小高い丘の村が見えてきた。

その村の道角で2人の老人が談笑している。

 

その1人が問いかけてきたので、

「日本から来て、毎日歩いてサンチアゴまで行く」・・・

老人は「ムイ・ブエノ(それは良いことだ!)」と・・・。

 

                 

               

村の頂の教会に腰掛けて休んでいると、

昨日プエンタレイナーのカフェテリアでコーヒーを飲んでいた、青年(ハビエル)に会う

 

彼はバルセロナのメルカード(市場)で働いている。

1ヶ月休んで、歩いてログニーニョまで行きそれから多くの友達に会いに行くという。

 

21歳、好青年であった。この後、彼と今日の宿エステージャまで一緒に歩く事になった

 

言葉の分からない私を易しいスペイン語、英語で話しかけてくる。

こちらも日本語で”おはよう、こんにちは、さよなら・・・”など言うと、

一生懸命ノートをとっている。

 

道ばたのザクロのような物を取っては”おいしいから食べろ”と差し出す。

これが意外とおいしかった。(後でスーパーマーケットで同じ物を買うことになる )

 

やっとエステージャへ。

 

 

ここのAlbergue Peregrinosは古い街並みの中心に流れるエガ川に面している

新しく建てられた3Fの建物で1Fが受付、台所(自由に食事が作れ、皿等も揃っている)

 

2F、3Fが各2室、一室2段ベッド、8つ、16人部屋である。

綺麗な建物である、   500pts。

 

 

プエンテ・ラ・レイナから1本になった巡礼道の最初の街、それがエステージャである。

 

エステージャ(星)という名を持つこの街はエガ川の流れに沿って

数多くの聖堂、教会(サントドミンゴ教会、サンミゲール教会等)、救護院、

巡礼宿が有り中世にいかに繁栄していたかの面影が残っている。

 

 

 

この好青年ハビエルと街中のスーパーマーケットへ行き、

魚、ジャガイモ、野菜、ワイン等を買い、宿の台所で食事を作ってくれることになった。

マスをフライパンで炒めてくれ、それにポテトフライ、サラダ。

 

(これ以降ほとんどのAlbergue には広いダイニングキッチンが有り巡礼者の多くは、

近くのスーパーに行き食材を買い楽しく料理を作っていた。)

 

彼の料理は私には心温まる美味しい食事で有った。

ポー親子が冷えた西瓜を食べろと差し出してくれる、これも旨かった。

今日は40人位泊まる様だ。今、その大きなテーブルの有る食堂で彼らは談笑している。

 

 

私は今Albergue(巡礼宿)の前に流れる川岸で日記を書いている。

今PM9:40まだ夕方である。

 

今日で日本を出発して10日以上になる。 心身共に疲れ切っている。

毎日数10kmの歩行と、言葉の不自由、足が思うように動かない。

最近泊まるのは巡礼宿1部屋10数人、落ち着くことが出来ない。

1人宿を探してみるか・・・・疲れている。日本に帰って落ち着きたい・・・・

これも今の私の本音でもある。

                                          

25977歩(18.18km)

 

 

 

 

日除けの帽子をプレンタ・レイナーで忘れて来た。

この街エステージャは大きな街だが今日は土曜日ほとんどの店が閉まっている

地図も買いたいのだがダメ~。

 

 

 

 

 

 

7月13日(日曜日) エステージャからロス・アルコスへ 20km

 

 

朝早くから部屋のあちこちのベッドで音がしだす。

AM7:30ベッドから起きると20のベッドの内、私を入れて3人しかいない。

 

皆朝早く出発し、日差しの強い午後を避けたいようだ。

今日はロス・アルコスまで20km、暑くなりそうだ。

 

上段ベッドのハビエルが帽子を忘れているので、すぐ下に降り探したが出発したみたいだ

 

多分、今日の泊まり宿は同じロス・アルコスだろうから、ハビエルの帽子を被って行こう

 

 

AM8:00出発、エステージャの町を一気に抜け、街の出口を右へ巡礼道に入る。

1kmほど歩くと道沿いにFuente・del・Vino(水飲み場ではなくワイン飲み場!)

 

ワイン工場の建物の壁面に巡礼者のために自由に飲んでくださいと記して有る。

右の蛇口は赤ワイン、左の蛇口は水がいくらでも出てくる、コップも添えて有った。

これは洒落ている!(この後900kmの巡礼道でFunte・del・Agua水飲み場は

数多く見たが、ワイン飲み場はここだけであった。)

 

 

今日のこの巡礼道、

最初の10kmは山道の上り下りは有ったが数kmごとに小さな村が有りスペインらしい

 

 

小高い村、一面小麦畑(黄金色)の中にひまわり畑(黄色)、

ラベンダー畑(紫色)、ブドウ畑(緑色)が有り色彩の変化が楽しめる

 

あちこちに小鳥のさえずり、景色に感動しっぱなし!来て良かった!歩いて良かった!

 

 少しの木陰を見つければ荷物を枕に寝ころぶ。

その時の木陰の風が何とも言えなく気持ちよい。

 

 

前夜宿泊の3人組(若い女の子)が明るく歌を歌いながら”オーラー”と

笑顔で手を上げ通り過ぎていく。

 

また歩き、am10:30Azuqueta村を過ぎ、また木陰を見ると休みたくなる。

今度は3人の婦人達が追い越していく。

彼女達も手を上げ「アスタ・ルエゴ(また後で!)

と笑顔で・・・多分、彼女等で今日の最後の巡礼者である。

 

後で聞いたことだが、この中の婦人の年は69歳とのこと驚きの他はない。

この彼女が休んでいる私を追い抜いて行ったのである。

 

山道に変化が有り、そんなに疲れを感じなかったが、

それから後の10kmは単調な小麦畑の中、一直線に巡礼道が何kmと続いている。

 

午後の暑い日差しに、この単調な真っ直ぐの道、荷の重さが肩にくい込む。

特に上りの一直線の道だけはまいる。100m進んでは休み、進んでは休み、

 

休めば今度歩き始めるときに足の痛みを感じる。休むのも問題である。

 

今日歩き出して、3つ目の村Urbioraの村民から「水をポットにいれてあげよう」と

声がかかる、この炎天下での冷たい水は本当に有り難い。

 

 

 

AM12:00小高い丘を歩いていると見晴らしが良く、

周囲数km小さな村があちこち何ケ所も見える。

 

 

その村の教会の鐘の音が全て聞こえてくる。あの村の教会の鐘の音、

こっちの村の教会の鐘の音・・・カーン・コーンと・・ 夢の中の景色のように・

 

 

 

今、一面小麦畑の中、延々と小麦畑、暑い日差しが照りつける。

足の水膨れが痛くて歩幅がとれない。

真っ青な空、乾燥した赤茶けた道が黄金色の小麦畑の中を一直線に延びている。

 

 

 

 

pm2:00ロスアルコスのサンタ・マリア教会に近いAlberugeに着く。

 

道の途中で会った彼女達も、このロスアルコスでも一緒なのだ。

私もこの巡礼をして初めて知ったのだが、巡礼者の為に徒歩、自転車、バス等、

交通手段は関係無しで、巡礼カードが有れば泊まれる設備が整っているのだ。

しかも一泊200~500pts(160~400円)である。

 

ロンセスバイエスからビアナまでの巡礼宿パンフレットは

ロンセスバイエス修道院でもらっていた

(今になってこのパンフレットの意味することが分かった)

 

わずか140km位の間に10カ所も有るのだ。

ただし一室に10数の男女関係なしのベッド、寝袋を使用する事になる。

 

 

今日のロス・アルコスは1室4人ベッドである。

私以外の3人は若いスペイン女性、私はスペインに入国してお金をあまり使っていない。

7/9ブルゲーテの村で200ドル28500pst両替して、

まだ15000pst残っている。

 

5日間で約13000pst(10.000円)しか使っていない。

すなわち1日2000円である。

 

 

タバコをほとんどすわない。吸いたくないのだ。疲れて歩いている最中は思わない。

ただ着いて、シャワーをして後の一服はある。  今日で2週間。

この間の思いは筆では疲れ切って頭が回らない。

写真,ビデオ、録音が語ってくれると思う。

 

だが、それらも歩き疲れで数多くのシャッターチャンスを逃がしていることだろう。

これは仕方が無い。ただ今はこれらを無事に日本に持って帰れることを願う。

 

 

今PM8:30。多くの若者達がAlbergueにやって来る。

彼等は歩いてではなくサイクリングでだが満員のため

ローカや他の空いている場所に寝袋を敷いている。

 

ここでは満員でダメと言うことは無い、必ず何処かで寝られるはずだ。

PM4:00頃までに入ればベッドは有ると思われる。

 

このロス・アルコスAlbergueは定員40人と書いてあるが今はそれ以上の人々が居る。

このような宿泊設備は巡礼カードを持っていれば、誰でもが利用できる。

 

 

各所巡礼のスタンプのチェックは有るが、どんな交通手段でもかなわない。

ある区間は歩き、ある区間はバスという手段もある。

事実、前記のロー親子ずれもそうゆう手段をとっている。

子供(9歳ダニエル)が歩けそうな距離は歩き、長い距離はバスを利用している。

 

1泊200円で泊まれるのだ。

 

 

スペイン語が少しでも話せる日本の青年なら、

1週間で数多くのヨーロッパの若者と仲良くなれるだろう。

なぜなら巡礼という同じ目的で旅しているのだから。

 

 

 180kmは歩いただろう。

180km、日本なら京都からどこまで・・・・・名古屋を通り過ぎているだろうか。

両足のあちこちに水膨れ。つぶしたくても出来ない。

 

ヨーロッパの連中は針に糸を通し水膨れ豆に糸を残した状態にしている。

私は自然のままにしておこう。

 

まだ700km歩かなければならないというのに、

本当に私はサンチアゴまで歩くつもりなのだろうか。

 

 

今は自分自身が自分の考え方が分からない。

こんな苦しい旅をいつまで・・・・。

止めようと思えば明日でも良いのに、分からない。まだ止めるという気がない。

                        

28157歩(20km)

 

 

PM4:00頃に量の多いランチ(ボトルワイン、豆スープ、大きな肉の塊、

アイスクリーム、コーヒー1100pts)を

彼らと共にしたのでもう夜は食事無しでよい

 

この日記を書いたら寝よう。PM9:40まだ外は明るい。子供達の遊ぶ声が聞こえる。

  

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