7月21日(月曜日)
サン・フォアン・デ・オルテガからブルゴスへ23km
朝7:00起きる(まだ陽がのぼらない)。
今日はブルゴスを過ぎTardafosまで行く予定。約30km。
早朝のSANJUANは気持ちよかった。
数km歩くと辺り一面雲海 小高い丘の教会だけが浮かんでいる。
1200mの山の頂なので朝日が昇ってくると
路傍に立つ大きな木の十字架が浮かび上がってくる。
朝日を受けた私の長い影が巡礼道に伸びる。
歩きながら最近私は「なぜこの道を歩くのか・・」としきりに考える。
なぜ・・はっきりした答えは今も判らない。歩くことは好きではない。
じゃ なぜ・・苦しみの中に楽しみが有るのを確かめたいのか・・・
自分が生きてきた証をこれに求めるのか・・
今はまだ判らない、旅の終わりに考えられるかも知れない。
ただ今は歩くのみである。
Agesを通りAtapuercaからの山道も険しかったが、
頂上からの下りからはブルゴスが見える。
15kmはあると思うが、遥か下に見えるのだ。不思議な気持ちになる。
15km先に有るブルゴスの街をずーと見ながら5時間近くも歩き続けるのだから。
今日歩き出して初めて会った若いドイツ人巡礼者と10分ほど一緒に歩く。
彼は学生と仕事を両立しており、この道を歩くのが長年の夢であったと言っていた。
Villafriaまでは気持ちよく歩けたが、
それからの道は大通り街中(結局5kmほど)これがきつかった。
歩けど歩けどカテドラルは見えず、道を間違ったのかと思うほど。
何人にも聞くがトド・デレーチョ(まっすぐ・・・)、
Barに入り休憩、やっとカテドラルの塔が先に見えた。
PM2:00スペイン・ゴッシク建築の傑作であるブルゴス大聖堂前に着く
(後で知ったが前日の夫婦ずれはVillafriaからはバスで来たと言っていた。
大聖堂の門は閉ざされていた。PM4:00まで待ち中に入る。カメラは禁止。
巡礼道での多くの教会を見て来た私は大きな教会には
あまり魅力を感じなくなってきている。適当に見て直ぐに出る。
スペインの3大教会はトレド、このブルゴス、そしてレオンと聞く。
これで2つ見たということになる。後はレオン、果たしてレオンまで行けるだろうか。
今は何かホームシックの感じなんだろうか、帰りたい。毎日がそんな気で過ごしている。
今9:00カテドラル前のレストランテラスで食事。
1700pts観光地はやはり高い、食事中に雨が降ってくる。
今日はブルゴスで泊まることにした。疲れた。明日がどうなるか。38kmになる。
また明日考えよう。ブルゴスのAlbergueはサンタ・マリア門の前に流れる
Arlanzon川に沿って15分ほど歩いた大きな公園の中に有る。
Albergueの前の広い芝生で洗濯物を干していると
40代の二人ずれドイツ人女性から声をかけられる。
彼女らは小学校教師でサンチアゴまで歩いて行きたいが自信が無い、
行けたら最高に嬉しいとしきりに言っていた。
人々は皆この街の真ん中に流れるArlanzon川で水遊びをしている。綺麗な川だ。
水遊びや散歩を楽しむ市民達はブルゴスの自然の恵みを
こころよく感じているように思える。
京都の町中に流れる賀茂川で、はたしてこれだけの人たちが水遊び出来るだろうか。
レオンまで約180km約8日はかかるだろう。 予定としては7月末。
もしレオンまで行けたら、サンディアゴまで・・・
46063歩(32.9km)Albergueから街中へ何回と歩く
しかし、よく歩けるものだ。
今日も1日何とか無事に過ぎた。何があっても不思議ではない。
体の異常、事故、何らかのトラブル20日間も無事に過ぎた事を感謝せずにいられない。
今日やっとハガキが出せた。こんな事にも苦労するのだ。
まだ40000pts位は残っている。
ここ1週間平均して1日¥1000位ではなかろうか?
このAlbergueはプレハブ風で2段ベッド20以上は有ろうかと思う
前芝生、シャワーが冷たかった。1つのわずかな不安も大きな不安になる
無事な間に帰ってもと思ってしまう。 レオンで誰か日本人に会いたい
1時間のコーヒータイムで思いっきり日本語を喋りたい
無駄話がしたい・・何かそれだけで力が付く様な気がする
7月22日(火曜日) ブルゴスからタルダホスへ 9km
AM8:00ブルゴスAlbergueを出る。
BOXに300pts入れるのを忘れた。1日過ごさせてもらったのに悪いことをした。
平坦な道を7km歩いてVillalbillaここは鉄道駅のある小さな村だ。
ブルゴスから最初の駅なのだろう。Tardajosへはあと2km。
Arlanzon川にかかる橋を渡るとTardajosのAlbergue(巡礼宿)、
まずスタンプを押してもらう。
ここの受付ビクトリア、クリスティナ2人は友人同士クリスティナは大学4年、
共に感じの良い娘さんだ今日はここで休もうかな・・
部屋を見せてもらうと、きれいなベッド2室3人用、
5人用というこじんまりしたAlbergueだ。
まだ10:00過ぎだが、空は曇り空、今にも雨が降りそうな天気だ。
ここで1日のんびり過ごそう。そんなに急ぐ事もない・・・
今、近くのBarでカフェ・コン・レチェ、パン2個、650pts。
テレホンカードを買ってゆっくり電話をしようと思ったのに、どこにも売っていない。
小さな村ではこれがあるが仕方ない。 ベッドで横になり少し寝てしまう。
2:00頃から雨がしとしとと降っている。
困ったものだレインコートをまだ買っていないので明日雨ならどうしよう。
明日は降らないでくれと願う。
PM4:30現在自転車の巡礼者4人。
私はレチェ1リットル、パン3個、大きなチョコレート、アグア、
これだけで440ptsそしてAlbergue泊まり代300ptsを箱へ。
今日は約1300pts(¥1000位)使う。日本での私の1日分より安くついている。
12531歩(わずか8.8km)
どれだけの人々が1日無事に過ごせた事、食せた事に感謝して祈る人がいるのだろう。
私はこの旅に出て毎日、今日も何事もなく過ぎたことに心から感謝している。
周りは誰も意の通じない人ばかりで我が身だけしか頼れないのだ。
疲れると眠れるというが、一日中の歩きで疲れ切ると足や体がほてり、
興奮し、より眠れないものである。 毎日薬を飲むがその錠が増えてくる。
今、3人部屋で一人。今日はもうだれも来ないのだろうか。
そうなれば私はこの部屋を300ptsで貸し切ったことになる。
PM7:00先日タオルをなくしてしまい、シャワーが出来ない、ビクトリアに言うと「moritaこのタオルをあなたに差し上げる」と青い綺麗なタオルを渡してくれる。
GRACIAS!たった300ptsの巡礼者に本当に有り難う。
PM8:00ドイツ人女性(7/20のサン・フォアン教会前芝生で
一人読書をしていた女性)が部屋に入ってくる。
結局この女性と二人きりであった。
窓から見る夜空の星が無数に輝いていた。
7月23日(水曜日) タルダフォスからカストロヘリスへ27km
朝 ビクトリアがテーブルの上に「Para Morita ULTREIA(Mas alla)Victoria」
とのメッセージ付きで小さな野の花と小鳥の羽を付けて・・・
こんな幸せな気持ちは久しぶり・・たった一日の巡礼者に・・・・
有り難う!本当に有り難うビクトリア!
昨日タオルのお礼にと日本から持ってきた小さな折紙人形の中から一つを
選んでくれと言ったらビクトリアは白無垢の日本の花嫁人形を選んだ。
彼女が幸せな花嫁になることを心から願う。
AM8:00Tardajosを出る。
Tardafosは楽しい、嬉しい想い出の村の一つになった。
2kmほど歩いてRabe・de・las・calzadas村。それから峠を一つ越し、8kmほど歩く。
Hornillos・del・Camino村の教会前で珍しく自動販売機がありコーラを(100pts)
一気に飲む。 Bar一つない村のように感じた。
それからのHontanasまでの10kmは高原の道を歩く感じ。
周り全て小麦畑。 歩けど歩けど小麦畑。
時々花崗岩の白い石が道ばたに多く積んである。
歩いても・歩いても・・・小麦畑。
道ばたには紅のアマポーラが一面に咲いている。
今日は最高の気持ちで歩ける。
Hontanas村に着いたのがPM1:30、
道ばたでイワシを干す小さな親父が私に声をかけてくる。BARの親父だった。
ちょうど昼時なので中に入り食事、ソパ・デ・アホ、イワシのフライ、
コーラ、ワインで700pts。巡礼者3人が入ってくる。
(後にわかるがその1人がアントニオ)一緒に食事をする。
PM3:00Hontanasを出る。
少し歩き出すと遠くで雷の音、遙か先で稲妻が
走る、空はだんだん曇ってくる細い山沿いの道を急ぎ足で・・ポンチョがない。
立ち止まり、バッグから傘を取り出しておく。
何とか降らずにいてくれ。山道から車道へと出る。
アーチ状の古い廃墟SanAnton修道院
(たどり着いた巡礼人にいつも暖かい食事を用意されていたであろう修道院)を
くぐり抜けると、先にCastrojerizが見えた。
村の入り口近くのカテドラル(la・Virgen・del・Manzano)に入り休息する。
雨が少し降り出してきた。PM5:00Castrojeriz村Albergueに着く。
今日の27kmの行程はさすがに疲れる。
今、19:00外は雷を伴う大雨。1時間以上も降っている。
ゴロゴローピカッ!良かったAlbergueに着いていて。
ただ外に出られないので、食べにも何か買いにも行けない。
今日は食べずに寝ようシャワーを浴び、横になってしまう。
そして今まだ雷、雨は止まず。
PM8:00、人はやはり一人では生きていけないだろう。
私はいつもこういう旅をしている時、痛切に感じる。
家族の有り難さ、友人の大事さ・・そして仕事の大切さ・・だが、
日本に帰り一ヶ月がたってしまうとこの気持ちがだんだん薄れていく。
淋しいがこれも仕方ないか。
だが、今の気持ちを忘れないでおこうと心がけていくつもりだ。
もう寝る。腹は少し減っているが仕方ない。39026歩(27.3km)
このCastrojerizの丘の上古城Castillo・de・Castrojerizが稲妻に光り不気味に思われる。
7月24日(木曜日) カストロヘリスからフロミスタへ27km
CASTROJERIZをAM8:00出発。
この日も宿代をBOxに入れるのを忘れてしまった。
天気良し。出発してすぐのMostelaresの峠これはきつい。
一直線に山の上り道が見えている。わずか4kmで100m以上の標高差がある・・・
峠の頂上からのCastrojeriz村の景色が素晴らしかった。
あの小高い山の頂にある古城が遥か下に見える。
この峠を一気に下るとBURGOS地方とPALENCIA地方との境界
Pisuerga川にかかる。ある程度幅のある川だ。 (上記地図参照)
この川を渡るとすぐそこにItero・de・le・Vega村。
AM10:00過ぎ、ここのBarで(ここでスタンプ)カフェコンレチェ、
小さなパン2個280pts。
ここで2日前に会ったジョキンとスサナに再び会う。仲の良い恋人同士である。
それからのBoadillaまでの9kmはほとんど平坦な道。
ブルゴスからの道は小麦畑だけのカステイーヤ平原を横切ることになる。
地平線にのぞく小山の頂には砦の廃墟が紺碧の空にぬけている。灼熱の景観である。
途中の休憩で若者の巡礼者3人、アントニオ(前日にBarで一緒に食事)、
エステバン、ホセと少し話す。アントニオは3ヶ月ほど合気道を習っていたという。aikidou、kumite・・・日本語がでてくる。
Boadillaも小さな村。直ぐに抜け出すと、
前方に100頭以上の羊の群、4頭の牧羊犬が感心するほど羊達を旨く誘導している。
マントを肩に、ずた袋を腰にぶらさげ、
長い棒を杖にした羊飼いの姿に巡礼人の姿が重なる。
これ以降何回となく羊の群れを見ては立ち止まる。
右側に運河(Castilla Canal運河川幅10mほど)を見ながら
ハミングしながら数km歩く。
この時一人で歩く巡礼者アルフォンソ63歳に会った、2人の孫がいるという。
もう少し大きくなれば一緒に歩きたいのだそうだ。
そして運河に架かる橋を渡ればFromistaそう大きくはないが綺麗な街である。
さきほどのジョキンとスサーナがBarで手を挙げ「HOla!morita!」と呼んでいる。
一緒にコーヒーを飲む。
アントニオもBarに来てあなたは大変有名だという。
徒歩で巡礼する東洋人が珍しいのと、
スペイン語が話せない旅人ということで多分有名なんだろうと自分自身では思っている。
彼女スサーナはこれから4km先のAlbergueで泊まると言うので、
ここで両ほっぺに別れのキスをしてくれた。慣れない事だが気持ちの良いものである。
フロミスタに着いたのがPM3:00歩き続けて7時間。
38500歩(27km)今日は1時間4kmペース。 私には早いペースだった。
夕方アントニオが自分が使っているガイドブック
"EL・CAMINO・DE・SANTIAGO”を私の為にくれた。
彼もレオンまで行くというのに何と気のよい奴だ。
また荷物が重くなるが他のものを捨てても持って帰りたい。
その後Peregrinosの連中10人ほどとSan・martin聖堂へ行く。
このロマネスク建築の聖堂は18世紀には荒廃していた、
今世紀に修復されて華麗な姿になっているが、
歴史の重さを感じない華やかさだけが印象に残る。
内部に入りアントニオが柱頭飾りについて説明してくれるが、
その細かい彫刻にはあまり興味は感じられなかった。
そしてポンチョ(550pts)、テレカルテも一緒に買いに行ってくれた。
有り難い、これで雨が降っても大丈夫。
アントニオはパンプローナ出身ガイドブックの後に住所を書いてくれたので
帰ったら礼状を出さなければならない。
彼等の話では、この巡礼の道を歩く日本人は、ほとんど居ないと聞くという。
明日7/25は聖ヤコブ祭、この巡礼道は祭り一色になりそうだ。
ここFromistaも夜11:30からAlbergue前の広場で音楽祭がある。
今、ステージ等の用意をしている。
日本でいう正月前の大晦日という感じなのかも知れない。
この部屋は2段ベッド3つ6人部屋。ドイツ女性2人。
私のベッドの下にアルフォンソそしてジョルディだ。
彼ジョルデイとは道中は会わないが
7/18のサントドミンゴ以来、時々各Albergueで会う。
このAlbergueも前は芝生、皆そこに集まり話をする。
今日の泊まりの巡礼者全ての人が笑顔で「hola morita!」と呼びかけてくる
私は彼等の名前が判らない。
芝生のテーブルに一杯並んだセルベサ、ビノ、フルータス、パン等を飲め、
食べろと持ってきてくれる。 GraciasただGraciasである。
その後Pm10:00頃から音楽祭が催される広場前Barへ
10人ほどの巡礼仲間と行く。
テーブルを囲んで両手を使っての賑やかなゲーム(これは説明し難い)や
日本語教室(これは私の少しの語学程度)楽しい時間を過ごした。
音楽祭が始まる。舞台からはバンドの派手な賑やかな音楽が・・・
この街フロミスターの住民が皆広場に集まってきた感じすらある。
ジョキンとスサーナも5km先のAlbergueから音楽祭を楽しむために来ている。
Albergueの受付婦人が私にダンスをしようと手を差し伸べる。
皆Peregrinosの仲間意識があるのだろう、賑やかなフォークダンスをする。
少しで疲れてしまうと
芝生に大の字に寝転がり久しぶりに夜空満天の星を眺める。
音楽祭は何時まであるのかわからないが、
私たちは12時半(Albergueの消灯は原則Pm10:00だが今日は特別であった)まで
皆で一緒にダンスをして(皆、心残りを顔にだしながら)
Albergueへこころよい疲れを感じながら帰る。
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