1997年7月8日(火) 巡礼スタート 

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サンジーンピートポートから ロンセスバイエスへ 29km

    (上記地図 右端上St.Jean de Pied de  Port 参照)

 

AM8:00ホテル朝食30フラン(カフェ・コン・レチェ、パン)

 

同席の男性が巡礼ガイドブック(後日、ログローニョで買うことになる)で

ロンセスバイエスへの道を教えてくれる「メインの道は車が多いので別の道を」と言う。

 

だが、ガイドブックを持たない私は知らない道は迷ってしまう可能性が有るため、

メインの道を行くことにした。                

 

 

 

AM8:30スタート。

ロンセスバイエスの道はN135少しずつの上り坂だが景色が良く、天気も快晴、

車もそう多くない。気持ち良く歩ける。

 

 

8kmほどで,Arneguy、フランス、スペインの国境の町だ。

 

ゲートも何もない。

ドライブインのようなものが有ったが、知らない間に通り越していた。         

 

 

 

 

 

                 

 

両替もせずにそれから緩やかな坂道,国境を越えた最初の街Valcarlosに入る

 

(AM11:00)道ばたの家の玄関に腰掛けていた婦人に話しかける。

 

峠まで早く行けば3時間。とんでもない!私なら5時間かかると思った。

彼女は私に冷たい一杯の水を差しだしてくれた。

 

街の教会の神父が居てくれたので、スタンプを頼み握手をして別れる。

 

 

さあ、ピレネー山脈まで何時間かかるか。たどり着けるか。がんばろう・・・

 

 

 

サン・ジーンから約25kmほどの上り道の行程だ。

 

昨日はValcarlosで泊まろうと思っていたが、

まだAM11:00、頂上まで行けるところまで行ってみよう。

 

 

 

この後の急な坂道はテープ(胸ポケットの携帯レコーダー)に入れて有るが、

 

最初は1時間歩き、休み、だがだんだん2km歩いては休み、足が動かない。

 

 

合計10回近く休んでしまった。

一歩一歩進まなければ到着しない。一歩一歩の積み重ねだ。

 

 

ピレネーの山間から流れ落ちる水の冷たさが喉を潤し、疲れを癒してくれる。

 

 

 

 

道ばたの木陰で寝転がっていると体の汗がさわやかな風で冷やしてくれ、心地よい。

この休んでいる10分間が幸せだ。

 

 

 

さあ、また歩こう!歩き出して1km道の先、小高い丘に木の十字架が見えた。

あれだ!あれに違いない。何と幸せな気分だ。

 

イバナタの峠は広々とした小高い草原の中に有った。

 

 

かって命がけで越えてきた巡礼者達を導き、鳴らしつずけた鐘と小さな教会が有る

 

そして武勲詩で名高いローランの碑も有り、駐車場には車での観光客も数人いる

クビに鈴をつけた羊たちがカラン・コロンと鈴を鳴らして、のんびりと牧草を食べている

 

芝生の上で30分近く寝ころび青空を見ていた。

久しぶりに味わう満足感を体一杯に感じながら。

 

 

 

近くに居たスイス人(ジュネーブ)親子(父親・男の子9歳)が話しかけてくる。

 

「10年ほど前に、サンティアゴ・コンポステーラまで歩いたことが有り

大変良いことだと、そして「私の息子は柔道と合気道を習っている」

 

その可愛いい男の子が私の前で、合気道の型を見せてくれる

 

30分ほど話した後にキャンピングカーで去っていった。レオンで弟家族に会うらしい

 

 

 

 

さあ、歩き出そう。約1km坂道を下っていくとそこにロンセスバイエスがあった。

 

広大な修道院と2件の小さなホテルが有るだけの静かな村だ

 

     「門は開け放たれている、誰人にも

カソリックにも、異教徒にも、貧者、愚者であろうとも

兄弟のように抱きしめよう、国も、政治もへだたりなく・・・・」(叙情詩)

 

 

と詩われているロンセスバイエス修道院は、中世から巡礼者のための救護院でもあった

私は、この詩をこの数年心のどこかに置いて生活してきた。

 

パンプローナのサン・フェルミン祭の為か

白い上下服に赤いハンカチーフを首に巻いた若者たちがたくさんいる。

 

祭のパンプローナはホテル探しが大変難しいようだ。

ここから40kmほど離れているが、ここでは巡礼者以外の宿は無理のようだ。

私はこの修道院で「カミノ・デ・サンディアゴ」の標識を見て事務所に入る。

 

 

ここで巡礼手帳を作成してもらい、最初のスタンプ押してもらった。

「消灯はPM10:00」「PM8:00から修道院ミサです」とベットが与えられた。

修道院内の3階、2段ベット8つ、合計16人部屋だ。他に多数の部屋が有った。

 

 

PM8:00から修道院ミサ、巡礼者30人ほどがロンセスバイエス教会でミサに授かる

 

巡礼者のためだけの神父10人での荘厳なミサは素晴らしかった・・・

 

 

PM8:40近くの小さなホテル下レストランで夕食(45Fフランス通貨が使える)

 

 

一緒に食事ををしたオランダ人2人はサイクリングでオランダからサンディアゴまで

1ヶ月で行くらしい。1人は高校教師1人はペンション経営62歳。優しい人達であった

 

今日は長女の誕生日。絵はがきでも書こう。”おめでとう”と。

 

16人のベット部屋は、布団がないので初めて寝袋を使う。

少しの動きで2段ベットがきしむ音、誰かのいびき、薬2錠を飲む。

 

 40795歩(28、5km)

 

 

 

 

 

月9日(水曜日) ロンセスバイエスからエロー村 16km

 

朝目覚めれば雨だった。寝袋・衣類をバッグに積め朝食を済ませ出発。

ロンセスバイエスは思い出が一杯つまった所になるだろう。

 

真っ直ぐな緩やかなこう配の下り坂、雨の中を歩き出す。

歩き出してすぐの道の傍に「巡礼の十字架」と呼ばれる石標が有る。

(私はこれより後、巡礼道で多くのこの種の石標を見てきた。)

 

少し歩けば右に巡礼の道しるべがあったが、

私は2kmほど先のブルゲーテの村で両替をしなければならないので国道を歩いた。

少ない自動車の通行、これで雨が降っていなければ・・・

 

ブリゲーテの町は雨の中静かな落ち着いた小さな村であった。

ヘミングウエイの小説「日はまた昇る」の縁の地である。

こんな村で1週間ほど過ごしたいと思う。

 

ブリゲーテの教会は閉ざされていた。    それから4kmEspinalの村へ。

雨がこの地では珍しく土砂降りになってきた。

 

 

 

 

私はこの街の教会に隣接した門をたたくと1人の紳士が出てきたので、スタンプを願った

 

彼は神父ではなかったが気持ちよく神父の机の戸を鍵で開け、押してくれた。

 

この胸にぶら下げているホタテ貝のペンダントはみんなから好意的に見られている。    

 

 

 

ここまでは国道、この後標識の巡礼の道に入るがこれがダメ。

道は細く、雨のためぬかるみ滑る、10m歩くのに何回倒れかかったことか。

深い森の中に入り、体中がひやっとする。        寒気すら感じる。

 

巡礼の道が完備されていると読んだが、少し疑問に思う。

これくらいの雨で歩けないほどぬかるむ道が整備されているとはどうしても思えない。

私の靴はドロドロ、一度こけたのでズボンもドロドロになる

 

早く国道に出れないものかと何度思ったことか、時間のロスは多大であった。

これから以降雨の日は巡礼の道は入らない方が無難かも知れない。

 

平原に出ての道なら良いかも知れないが。

今日は雨ということも有るのだろうが・・・・・

 

Viscarretの教会も閉ざされていた・・小さなホスタルが有ったが3000ptsとのこと

 

まだ2時、もう少し歩こう。ここから再度国道N135を歩く、

Erroの村(町とはいえない小さな所ばかり)小高い丘に有りこじんまりしたきれいな村だ

 

村の教会に行ったがここも閉まっている。  日曜のミサしか開けないのだろうか。

これらの教会の神父は何カ所かを受け持っているのだろうか。

 

この村の中にはオスタルはないと老婦人が言ってくれた。

「有るのはあれ」と指さして、村の入り口の「Bar・Hostal」を教えてくれた。

 

入ってみると若い女の子が居て、聞くと7000pts。高い!びっくりする。

その少女もすまなそうな顔で"Muy Calo”(高い)と言っている。

 

この村にはこの一軒だけ、少し疲れているし・・とりあえず何も言わず、

カフェ・コン・レチェをたのむ。そのうちにその子は台所に入り誰かと話して出てきた。4000pts(それでも高い)にしますと。

"Muchas Grasias”(有り難う)約3000円、それなら泊まろうと部屋を見て驚いた。

 

 

 

こじんまりしているが二つベッドの綺麗な部屋だ。まず風呂が有る!こりゃ有り難い。

それに部屋の小窓からの小高い村の景色が最高、まるで額縁の絵のようだ。

 

またまた幸せな気分になる。一週間ぶりの風呂、温かい湯。

 

ついでに今日は汚れた靴下、シャツ、ジーンズも洗おう。久しぶりにさっぱりした。

 

 

 

 

 

 

PM8:30下のレストランで夕食をとる1000ptsとのこと。

これがダメだった  私の胃は小さくなっている。     ワインにスープ、大盛りサラダ、

 

生ハムを炒めたものと目玉焼き卵2個、それにパン、全部食べたが胸焼けがひどい。

 

今もこれを書きながら寝ころび、背中に家で毎日使っていた背あてをしている。

これは5年前の旅にも持ってきた大事なものである。

 

 22949歩(16.06km)

 

 

 

 

 

 

7月10日(土曜日) エロー村からパンプローナーへ 21km

 

AM9:30下のBARで朝食。曇り。                       

 

 

AM10:00出発。Erroの村を出てすぐに5kmほどの峠にかかる。

 

これも少しつらいが、ピレネーの上り坂30kmに比べれば・・・

あの山に比べれば・・・何も怖くないとすら思える。

 

何でもつらいことは早い内に経験しておくのも良いかも知れない。

 

この峠でサイクリングの練習をする多くの人々を見る。

 

 

峠を越せば後は緩やかな下り.Agorretaの村を過ぎてarga川の橋を渡り、Zubiriに着く。

パンプローナまで21kmの道路標識。ホントに小さな村だ。

 

 

ここまでで10km。長女の誕生祝いのはがきを出すべく郵便局を探すが、見あたらない

 

女の子に聞くと「あれだ本通りからそれた道あの白い家」と言うが郵便局のマークがない

 

どう見ても普通の家だ。近所の婦人に聞くと,2階へ上がっていき連れて降りてくれる

 

「日本への切手代がいくらか解らない」と言いながらメモ帳を見て151ptsになったが、果たして無事日本にこのハガキが着くのだろうか?・・・

 

小さなスーパーでコーラ、小さなパン16個入、280ptsを買う。

これで昼もしくは夜まで大丈夫という気がする。

 

さあ、歩こう!        Urdanizを過ぎLarrasoana

 

近く道ばたの広い野原を見つけ、バッグを枕に30分ほど寝てしまった。

このLarrasoanaにもAlbergue(巡礼宿)が有った様だ。

(これは後に判った事で、

まだこの時点でもAlbergueというものが理解出来ていなかった。)

 

ここまでは国道N135を歩く。

制限時速80kmになっているが100km以上は出しているだろう。

 

道ばた約1mの道を高速の車を心配しながら黙々と歩く。

Zuriain近くで巡礼道に入るが、相変わらず50cm幅位の山道が続く。

 

今日は雨が降っていないので道のぬかるみはまだましな方である。

この道に入るといつも急に寒さを感じ、ゾクゾクする。

大きな草が道をふさぎ、草をよけては歩く。

 

右側は深い谷30m下に川が流れている。

これが雨でぬかるんだら危険な道になるだろう、決して安全な道とはいえない。

特に1人では心細い。

 

 

この道で昨日Erroの教会前で会った巡礼者に再会した、彼はフランス人で76歳と言う。

驚きだ、この年齢で、私なんかはまだまだ若いと、勇気ずけられる。

 

写真を撮ると、この所へ送ってくれと住所を書く。立ちながら書くので私には読みにくい

 

それから巡礼道を1時間くらい歩いただろうか、

 

 

 

左の角を曲がるとパンプローナの入り口が見えた。

 

 

 

古い石橋が流れのあるUlzama川にかかっている。パンプローナだ!   やっと着いた。

(実はパンプローナの手前の街ARREであったが・・・)

 

 

川岸で休んでいると、

同じ若い3人組の巡礼者が橋のたもとの古い石造りの建物に入っていくのが見えた。

私はスペイン語がほとんど読めない、英語もだが・・

その分、過去の旅の中で多くの感を養ったと思う。

 

言葉の不自由をカバーするにはこれしかない、私も入っていく。

それは巡礼のための案内所だった。

(実にこの街パンプローナの入り口にかかる橋に巡礼宿が有るのだ)。

 

 

巡礼スタンプを押してここに300ptsを置きなさいと言う。

そして外に出て隣の建物に案内してくれる。そこは多くのベッドが有る部屋だった。

10数人の巡礼者が既にベッドに座り、話をしている。

 

そうか、あの300ptsがこのベッドの意味なんだと思った。

(日本での資料不足のため、歩き出して私はこの時点でも

まだAlbergue巡礼宿の理解が出来ていなかった。)

 

有り難い300ptsで眠れる。

 

今日もパンプローナはサン・フェルミン祭の最中なので、

泊まりは数十倍の値段でも泊まれないと覚悟していた。

 

どこかの公園かBarでも使って徹夜のつもりだったのに、有り難い。

とりあえず寝袋をひいてベッドを確保・・・

 

 

荷物を置き、外へ出て少し歩く。

パンプローナの町中までは行かずに、少し歩いたBarでいつものカフェ・コン・レチェ。

そこのカマレロに明日朝の牛追いの場所(通り)を聞く。

 

朝8:00から、このBarを真っ直ぐ40分ほどと言ってくれた。

 

解らないことが有ればBarでコーヒーを飲みながら聞くのが一番だ。

カフェ・コン・レチェ、パン1個、コーラ、水で750pts。

 

 

明日の朝は7:00前に起きて、パンプローナの街を歩き、プエンタ・ラ・レイナーへ。

本屋で地図を買うのを忘れないようにしなければ。    今PM8:00早く寝よう。

 

Alberbueは消灯pm10:00まだ外は明るい。ほとんどの巡礼者は熟睡している。    

 

30454歩(21、3km)

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