8月9日(土曜日)サリアからポルトマリンへ22km

 

昨夜はAM1:30頃寝たと思う。1ヶ月ぶりに一人部屋だった。

朝8:10下Barでカフェコンレチェ100pts。結局おいしかった夕食、風呂、泊まり、朝食カフェで1850pts(¥1500)こんな事があって良いのか。

SARRIAを出るとすぐRio Celeiroそして何度かの鉄道踏切を渡り、山道へ・・・道の両側に大木が茂る深い山中に入る。AM10:00まで朝もやの中を歩くが前方10mほどしか見えない。

太陽が昇り、あたりの景色が見えてくる。牧草地、トウモロコシ畑、小さな村をいくつか越える。山道を上り、下り、そしてサンティアゴまであと100kmの標石がどこに有るのだろうか・・・・・

セブレイロ峠あたりから500m間隔で標石が見られている。

100kmの標石は厳しい山道を上ったBrea村に有った。この標石に多くの巡礼者達が印を付けている。サンチィアゴまで100kmを切った・・・。

その後すぐにFerroeiros村にAlbergueが巡礼道沿いにある。友人に電話するが彼は不在であった。

 

 

暑くなってくる。Portomarinがはるか下に見えてきた木陰で休んでいると昨夜食事を共にしたテレサ(TERESA)が声をかけてくる。

「あなたはスペイン語があまり話せないのに勇気がある。この道はほとんど日本人はいない。バルセロナ等では多く見かけるが・・・・」。

Portomarinを背景に写真を撮るとそれを送ってくれと言うので彼女の住所を書いてくれる。

 

 

 

 

Portomarinは大きなRio(まるで小さなダム)のそばの町。PM3:30着

きれいな町だがまたAlbergueは満員、定員100人と書いてあるのに60人位待っているだけだったがなぜだろう・・・。

教会前の大きな体育館を案内してくれ、ここにマットを敷いて寝なさいと言う。すでに10人ほどの巡礼者が居た。ここで寝なければならないが仕方ないか。

今6:00雷が鳴り、雨がすごく強く降ってくる。この大きな体育館の屋根が壊れんばかりに雨音で鳴っている。割れているガラス窓から雨が飛びこんでくる。

昨日は天国のようだったが・・・。今日は出発してほとんど食べていない。近くのレストランもPM8:00からと言う。

          30400歩(21.9km)

 

 

 

 

 

8月10日(日曜日)ポルトマリンからパラス・デ・レイまで26km

 

昨夜はひどい雷雨。PM5:00~8:00まで大雨。この体育館の屋根が雨の音でものすごい。こんな雨は日本では見られないほど強い。体育館の屋根や壊れた窓から雨が漏ってくる。マット無し、マルタが貸してくれる。

PM8:00から近くのBarでマルタ(MARTA)、テレサが食事を誘ってくれ、PM10:00近くまで雑談する1200pts。

PM11:00頃から、また雨が強く降り、雷も強い。寝袋の上にレインコートを掛ける。夜中中強く降っていた。余り寝られず。

 

 

 

 朝7:50出る。今日は早く着いてAlbergueのベッドを確保しなければ・・・・今日はやけに上り道が多いが空は青空。

10kmほど歩き,EirexeのAlbergueの手前にテーブルを表に出した可愛いBarがあり、今日最初の休憩をする。カフェ・コン・レチェ、パンが美味しかった!350pts。

 

 

ここで先日(SARRIA)HOSTALの部屋を世話になったベルギー人夫婦(MICHAEL)、そしてマルタに会う。旦那は立派な顎髭、帽子には各巡礼地のバッジを20ケ以上付けている実に感じの良い夫婦である。

今日はほとんど休憩なしで歩いたが天気が良く、暑くなかったので気持ちよく歩ける。しかし休み無しは足にこたえる。

サンティアゴまで70kmを越す.Palas・de・Rey着、PM1:40。Albergueには泊まれそうだが、今日は宿に泊まりたい気分だ。

Albergue隣のレストラン階上が宿、バス、トイレ無しで2500pts。高いがここに決める。食事950pts。

部屋に入りリュックを降ろして、サンダルを1つ落としているのに気がついた。リュックの後ろにぶら下げていたのだが巡礼道の途中で落としてしまったのだろう。これは痛い。値段は1800pts位だったが、なかなか買えないので困る。

ありがたい!!・・・テレサが道の途中で見つけて「これMORITAのでしょ?」と持ってきてくれた。有り難い。バックの後ろにぶら下げていたので私のサンダルと思って拾ってくれたのであろう。

BARでテレサの好きなリンゴ酒をご馳走する。

           35700歩(25.7km)

 

        歩き出して 計1147150歩(826km)

                        

 

 

 

 

 

8月11日(月曜日)パラス・デ・レイからアルスーアまで31km

 

昨夜は少しでも軽くしたくバックの整理をする。壊れたカメラ、ビデオテープ等を捨て、このビデオカメラも・・・と思ったが捨てられず。AM1:00頃に眠っただろうか。

朝、目が覚めればAM8:00。Albergueだと皆の出かける物音で目が覚めるのだがHostalはダメ。腕時計の目覚ましに気がつかなかった。下Barで朝食(カフェコンレチェ、パン、350pts)食べて出かける。

AM8:30にPalasを出てすぐSanJulianの古い教会を抜け、のどかな田園風景の広がるCasanovaにサンチアゴまで60kmの石標が有った。

景色を眺めながら知らぬ間にLugo地方からLaCoruna地方に入ってしまう。今日はいやに短い坂道が有る。しかし、小高い山道、木々が茂っているので木陰で休むところはいくらでもある。

 

 

前方から細い道一杯に数十頭の牛が来る。道のど真ん中で立ち止まるが、牛達は平然と通り過ぎていった。

Melideに入ったのが11:00過ぎ.手持ち5000pts位は有るが、ここの銀行で両替(200ドル両替)をする。Melidaの町は以外と大きかった。

 

 

パン菓子12個入り、コーラ、ビスケット、桃2個、450pts買いバックに詰める。Mellidの町の出口に近いところの教会庭ベンチに腰掛け、先ほど買ったパンを取り出し昼食。

1人巡礼者が隣に腰掛ける(彼はベルギー人)サン・ジーンから20日間でここまで来たと言っていた。(私は35日間もかかっているのに・・・・)

 

 

 

それからの巡礼道も山道が多く日本の熊野古道に似ている感じもあった。

 

Ribadisoに着いた のが3:30頃。Rio Isoにかかる橋のたもとにAlbergueが有る。50人以上のPeregrinosがIso川に足をつけたり、芝生で休んでいる。エリザベスも”Morita!”と手を振る。

巡礼者達が宿泊の順番待ちのため置いているリュックの最後列に私のリュックを置くと全員が笑顔でブーイング!!最後列と思ったのが最前列だったのだ。

こちらも笑顔で”ペルドン ペルドン ごめん”皆も満面笑顔である。

多分このAlbergueは満員になるだろう・・・ArzuaのAlbergueまで約2km・・1時間ほど休みまた歩き出す。

今日はすでに30km近く歩いているせいかArzuaまでは少しこたえる。

 

 

AlbergueはArzuaの町を通り過ぎた右側坂下に有る。PM5:00頃着。

ここにはベルギー人夫婦、マルタ、テレサ、それに例のポーランド老紳士。それに8/1に会ったハネムーンのデンマーク人夫婦アストニカ、クリスティーナも居た。クリスティーナが風邪のため、ゆっくり休んでいたと言う。10日振りの再会。

1ヶ月以上Albergueの旅をしていると、このように誰かに会える。だが、スサーナ、エレーナ等には会えない。彼等はサンティアゴに着いているかも知れない。

途中のBoenteでN氏,T氏にTEL、O君にも電話したが、間違ってよそにかけてしまう電話代が高くつく。

今日サンティアゴまで50kmを過ぎる。サンティアゴまでの手前5kmのモンテドゴソの丘に泊まるとして、手前Arcaで一泊。あと3日でサンティアゴに到着する。自動車なら100kmは軽くとばしているので30分、私は1ヶ月以上歩いていて、時間の感覚の不思議さを時々感じている。

PM7:30歩いて10分ほどのレストランへ行く。まだ誰もいなかった。

レストランのほとんどは昼から3:30頃まで夜は7:30から開いている。スパゲッティが細かく入った塩味のスープが大きな椀に入っている。お皿に3杯分有ったが全部飲んでしまう。大きな肉の一塊り、ポテト、エラード、コーヒー、それにワイン一瓶1050pts。

すぐ後にベルギー人夫婦、カタルーニャのマルタ、テレサ、それにブラジル人巡礼者が入って来た。レストランのマスターが「今、店内は日本、ベルギー、ブラジル、カタルーニャ・・・国際色一色だ」というような事を言って皆を笑わせていた。

万歩計での歩数、距離はほとんど到着時点。ズボンを変えるのであとの町の散策、食事等の距離は無し。多分1日4km以上は歩いているだろう。

 

            43200歩(31.1km)

               12/13ページ

 

歩き出して 計1190350歩(857km)

 

 

次ページへ